映画のスクリーンを撃ち抜いたインディアン

映画のスクリーンを撃ち抜いたインディアン

※4月21日(金)執筆の記事です。
こんにちは。亀井弘喜です。
曇り空の鹿児島です。

昨日は週に1度の1日2クラスのヨガレッスン。

レッスン後にも生徒さんたちとヨガのことやヨガ哲学について30分くらい語り合っていました。僕はそういう時間がとても幸せです。ヨガの哲学を通じて、生徒さん(鹿児島に住む人たち)が平和に、穏やかに生きられるようになること。

ヨガスタジオ事業を始めようと思ったときの想いが叶っているんだなと昨日は嬉しく感じました。


【残席1名(女性のみ)】5月12〜14日(金〜日) 奄美大島リトリート第1期 

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◉今日のテーマ:
「映画のスクリーンを撃ち抜いたインディアン
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僕のメンターのアランがよくしてくれる話にこんな一説があります。

「映画というものが発明されて間も無く、あるインディアンの村である西部劇映画が上映されました。

 映画の中ではあるインディアンが、敵に対して鉄砲を向けて撃とうとするというシーンがありました。

 映画を見ていたインディアンは、スクリーンの中から自分が撃たれると思い、とっさに持っていた銃で映画の中のインディアンに6発撃ち込みました。

 映画は変わらず上映され、映画が終わった後、残ったのは、スクリーンとなった壁に空いた6つの穴でした。」

◆◇◆◇

このストーリーの教訓は何でしょうか?

スクリーンに向かって発砲したインディアンを笑うことは僕らにはできません。

なぜならその行為は、現代においても、僕たちが他人との人間関係やパートナーシップにおいてやっていることだからです。

映画はただ、上映されています。

それを見て、怖いと思った人が発砲する。

でも実は映画は映画であり、映画が終了した後は、自分の人生には何も起きていなかったことがわかる。

「一体自分は何と戦っていたんだろう?」

そんな疑問が湧いてくるのです。

◇◆◇◆

人生で僕たちが戦っている相手とは一体誰なのでしょうか。

その「敵」というのは実在しているのでしょうか。

映画は何のために上映されていたのでしょうか。

一体どこからどこまでが「映画」なのでしょうか。

◇◆◇◆

ヨガの哲学や、僕がコーチングでアランから習った形而上学は、そのような疑問にクリアに答えてくれました。

そして僕は自分の人生で、架空のインディアンを撃ち抜くような生き方を辞めたのです。

あなたの人生にも架空のインディアンが登場することがあるかもしれません。

撃ち抜こうとしたとき、是非このストーリーを思い出してください。

映画を、映画として楽しむこともできるのです。

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最後まで読んでくださってありがとうございました。

このメルマガが少しでもあなたの人生のお役に立てたら嬉しく思います。

今日も素晴らしい一日をお過ごしください。

亀井弘喜

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