“私のもの”ではなく、”私の○○”として生きる
※5月2日(火)執筆の記事です。
こんにちは。亀井弘喜です。
今朝の鹿児島は桜島の灰が久しぶりに降り積もっています。桜島の灰が降り積もると、自然と掃除をしたくなります。
そうして灰が降り積もった翌朝は、あちこちの家やお店で、灰を掃き掃除する人たちで溢れかえります。
僕にとってはとても神聖な光景であり僕自身も混じってスタジオの前の灰を掃除しながら、「鹿児島県民の一員になれた」感覚を感じていくのです。
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“真実の世界はいつも優しい”
人生にスピリチュアルを取り入れるとなぜ結果が出るのか?
〜ビジネス・スピリチュアルの教科書〜
◉今日のテーマ:
「”私のもの”ではなく、”私の○○”として生きる」
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昨日のヨガクラスでお話ししたことです。
「僕は2013年10月、タイのチェンライというところでインド人の先生からヨガを習いました。たくさんあった教えの中で、最も印象的だったのは”執着を捨てなさい”というものでした。
でも具体的に、どういうことかわかりませんでした。
どういう状態が執着がなくて、どういう状態が執着があるのか、明確に言葉にできなかったのです。
あるとき、腑に落ちました。
借り物主義で生きればいいのだと。
結局執着っていうのは何かを”自分のもの”と思うところから始まります。
私の車、私の家、私の子供、私の服、私のお金など。
道端で落ちている1万円を誰かが拾っても何も思わないのに、自分の財布から1万円を持って行かれたら怒ったり、焦ったりするのです。
そこにあるのは”ワタシノもの”という所有意識です。
恋人や夫婦間で起きる 嫉妬や束縛というのも結局のところ”私の恋人”という意識が源にあるのです。
”私のもの”なのに、私の自由にならないことが腹立たしい。
これがエゴの持っている執着の本質なのです。
人間は本来何も所有することはできません。
自分の身体ですらそうなのです。
いつかはなくなっていくものであり一時的に魂がそこに宿している”借り物”です。
でもとても愛しき借り物です。
身体を自分の愛車のように大切にケアしましょう。
ヨガはその方法の1つなのです。」
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僕自身、この「借り物主義」の生き方にシフトしてから苦しいときも早々に抜けられるようになりました。
人生で何を失ったとしても、所詮”借り物”だという意識が生まれたのです。
何かを自分のものと思うところから執着が生まれます。
あなたが執着から自由になるためのヒントになったら嬉しく思います。
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最後まで読んでくださってありがとうございました。
このメルマガが少しでもあなたの人生のお役に立てたら嬉しく思います。
今日も素晴らしい一日をお過ごしください。
亀井弘喜
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