最高の家族
※4月25日(火)執筆の記事です。
こんにちは。亀井弘喜です。
今日の鹿児島はとても肌寒い1日でした。
昨日花粉の症状がなぜか再発して薬を飲んだからか、今日は早起きもできず、ランニングもできず…。
そして何だったら日中ちょっと昼寝したりして(笑)。しかも3時間も!!
こういうとき、どんな風に自分のことを捉えるのか。
(厳しい自分)「やるって決めたこともやれないのか!」
(優しい自分)「身体が休息を必要としてるんだね。」
僕はいつも優しい自分の方で自分を見てあげるようにしています。
優しい自分の方で自分を見ていると、他人のことも優しく見れるのです。
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“真実の世界はいつも優しい”
人生にスピリチュアルを取り入れるとなぜ結果が出るのか?
〜ビジネス・スピリチュアルの教科書〜
◉今日のテーマ:
「最高の家族」
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昨日のメルマガの続きです。
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当時参加した自己啓発セミナーでは自分の過去の傷を直視して、それをグループメンバーに話すというワークがありました。
ずっと心の奥底に刻み込まれていたその記憶がありありと思い出され僕は5〜6人のグループメンバーを前に全身を震わせながら号泣しました。
きっと当時泣けなかった分の恐怖をすべて感じて、泣いて泣いて泣いて、泣き疲れるほど泣きました。
そしてスッキリしました。
僕のトラウマは「癒えた」と感じていたのです。
僕の過去は「癒えた」と感じていたのです。
でも本当の「癒し」はもっと深いレベルにありました。
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あれは確か2013年の夏くらいのことです。
ふと、「父親の会社にもっと貢献したい!」という純粋な想いが湧き出た僕は、父に社員研修を提案しました。
しかも今なら考えられないのですが、全社員に向けて研修をしたいと申し出たのです。
80名近くいる父の会社から、3回に分けて毎回25〜30名くらいの参加者を前に研修しました。
あんなにやりにくかった研修はありませんでした(笑)。
何しろ研修のようなものが初めてな上に社員の皆様は業務で忙しく、「何でこんなのに参加しなきゃいけないんだ!」という雰囲気。
それでも屈しないでやりきった研修の3日間。
ものすごい充実感とともに大きな疲労がやってきました。
そしてクライマックスは最終日でした。
なんと父が僕の研修に参加してくれたのです。
今のところ父が僕の研修に参加してくれたのは後にも先にもあの日だけです。
でもあの日、いろんなものがつながり、通じ合いました。
いつものように、腕を組んで足を組んで、怖い顔で僕の話を聞いていましたが(笑)、隣に座った社員さんと楽しそうにペアワークをしている父の姿が印象的でした。
父が、僕のことを本当の意味で認めてくれたように感じた記念すべき1日でした。
◆◇◆◇
研修が終わった懇親会の場で、父と二人で食事に行きました。
確かお寿司屋さんでした。
そこで父が口を開きました。
「お前も心理学とかコーチングとか本当にたくさん勉強したんだな。今日の研修でそのことがよくわかったよ。あれはよっぽど勉強しなきゃできるもんじゃない。」
僕は嬉しくなって答えました。
「うん。心理学もコーチングも本当にたくさん勉強したよ。全財産突っ込んだくらい(笑)。」
そこからの会話で、深い癒しが起きました。
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父:「ところでどうしてお前は、心理学やコーチングに興味を持ったんだ?」
僕:「えっと、話すとまあ長くなるんだけど、きっかけは、ある自己啓発セミナーだったんだよね。」
父:「うん。」
僕:「2010年の終わりくらいだったかなぁ、お母さんが亡くなって、まだ数ヶ月でそのショックを受け止めきれなくて。それで色んなセミナーに行ったり、講演会に行ったりしていて、あるセミナーに出会って。
そこでは、過去のトラウマっていうのを解消するみたいなワークがあって。」
父:「うん。」
僕:「それで、あの、、、お父さんは覚えてないかもしれないけどさ。小学校3年生くらいのときに、お母さんが酔っ払って、深夜に全裸になって、着てた服をトイレに突っ込もうとしていて。
俺は深夜に起きて、それを見て、洗濯機はこっちだよってお母さんに教えてあげようとしたらお父さんが帰ってきて。
それで裸のお母さんの髪の毛を掴んで引っ張り回して、散々顔を叩いて最後馬乗りになってライターで髪の毛に火をつけたんだよね。
それ以来、お父さんのこともお母さんのことも信じられなくなってしまって、それがトラウマになっていたんだってその後の自分の人生が紐解けてね。
それでそのトラウマを解消しようと一生懸命色んなセミナーに行ったり心理学やコーチングと出会ったんだ。」
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僕はここまで一気に話して「あっ!」と我に帰りました。
父にとっても思い出したくない記憶に触れてしまったかなと思ったのです。
父に不機嫌になられたらどうしよう。父に怒られたらどうしよう。
瞬間的に身構えた僕をよそに父は極めて冷静なトーンで、
こう返してきました。
ーーーーーーーーーー
父:「お前は一体何の話をしてるんだ?」
僕:「え?何の話って小学校3年生くらいのときの話だよ。」
父:「そうか。お前が一体何をどう記憶してるかはわからないが、俺はお母さんに手をあげたことなんて一度もないぞ。神様に誓ったっていい。喧嘩して怒鳴ったことは何度もあるけど、手をあげたことはない。
だからお前の話を聞いても、何の話をしているのかがよくわからないんだ。」
僕:「…。そうだったんだね。確かに小さい頃の記憶だし、何が本当なのかはわからないね。でもそんなことよりも、今こうやってお父さんに自分のことを話せたことがよかったと思う。
自分の中でだけ持ってた捏造のストーリーだったのかもしれないってことがわかってちょっとホッとしている部分もあるよ。」
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そうしてまた親子二人、美味しい寿司を楽しみました。
あのとき以来、父とこの話をしたことはありません。
そしてあのときの何とも言えない感覚を僕は鮮明に覚えています。
自分が戦ってきた「確固たる過去」というものが、一番の当事者である父の中には「なかった」のです。
母はもう亡くなって3年が経とうとしていました。
兄は長野で暮らしています。
きっと兄の記憶の中にも、僕の「トラウマ」となっていたストーリーは存在していなかったでしょう。
ということは、地球上で唯一、恐怖の過去のストーリーが残っていた場所は…
「僕の抱いていた幻想の中」だけだったのです。
トラウマを「癒しにいった」数年間だと思っていたのですが、トラウマ自体が「あったかなかったかわからない」ということに気づいたのでした。
◇◆◇◆
その日までの僕は、このトラウマストーリーを話すとき、「過去にあったこと」として話していました。
その日からの僕は、このトラウマストーリーを話すとき「あったかどうかもわからない話」として話すようになりました。
過去というのは本当に不思議な概念です。
今ここ以外には実際には何ものも存在できません。
ということはすべての過去とは関係した人の記憶の中にのみ刻まれているものだということになります。
過去を変えられる、というのは、「何を覚えておくかを変えられる」ということなのです。
今の僕にとっては、件のトラウマストーリーは、本当にどうでもいい話になりました。
そんな恐怖のストーリーよりも家族で仲良く過ごした記憶を覚えておきたい。
酔っ払って目の据わった母よりもいつも笑顔で、優しくて、マリア様のようだった母を覚えていたい。
暴力的で怒鳴る父よりも、いつも頼りがいがあって、何でもできて、世界のすべてを知っているかのような頼もしい父を覚えていたい。
グレてしまってタバコまみれの高校生の兄よりも、一緒にゲームをして、野球をして、サッカーをして。毎日美味しく一緒にご飯を食べていた憧れの兄を覚えていたい。
僕は、自分の家族の美しい部分を覚えていたいのです。
僕は、最高の家族に恵まれました。
最高の父と、最高の母と、最高の兄に恵まれました。
いろいろあったし、母は亡くなってしまったし、父は相変わらず怖いし、兄とは相変わらず疎遠です。
それでも、愛しき地球の家族なのです。
僕がいつか死ぬとき、最高の家族に恵まれた過去だけを持って次の世界に旅立つことでしょう。
過去は変えられます。
そしてあなたの家族も、最高の家族なのです。
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最後まで読んでくださってありがとうございました。
このメルマガが少しでもあなたの人生のお役に立てたら嬉しく思います。
今日も素晴らしい一日をお過ごしください。
亀井弘喜
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